平成22年度および平成23年度受賞者と選考委員による座談会
本賞は若手研究者の研究奨励を目的に実施しています。
そこで、受賞者同士、また選考委員の先生方との交流が深まることで、さらなる研究奨励につながればと考え、平成24年3月30日に、平成22年度・23年度の受賞者と選考委員による座談会を開催しました。
「漢字」をテーマにさまざまな分野で研究に励む受賞者と選考委員の先生方の、漢字研究に対する思いを語っていただきました。本ページでは、その一部をご紹介します。
日時:平成24年3月30日(金) 10時半~12時
場所:ホテルグランヴィア京都 7階 式部の間
参加者:(受賞者の所属は座談会当時のものです)
平成22年度受賞者
- 優秀賞 山下 真里さん(東北大学大学院文学研究科 博士前期課程2年)
- 佳作 ナザロワ・エカテリナさん(京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程2年)
- 佳作 鳩野 恵介さん(関西大学 文学部 非常勤講師)
平成23年度受賞者
- 佳作 早川 咲さん(会社員・富山大学人文学部卒業)
- 佳作 李 瑩瑩さん(神戸大学大学院人文学研究科 博士後期課程3年)
選考委員
- 阿辻哲次 京都大学大学院人間・環境学研究科教授
- 笹原宏之 早稲田大学社会科学総合学術院教授
- 森 博達 京都産業大学外国語学部中国語学科教授
- 山本真吾 白百合女子大学文学部国語国文学科教授
座談会の様子(敬称略)
司会:本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。
今回の座談会は選考委員の先生方からのご希望で実現しました。受賞者の皆様の今後の研究に活かしていただけるような場になればと思います。よろしくお願いします。では、まずは選考委員の先生方の自己紹介からお願いします。
阿辻:京都大学の阿辻です。中国の文字学を専門にしていて、説文解字などを学部時代から研究してきました。中国の漢字文化史が専門ですが、最近では文化庁の国語政策にもかかわっています。
森:京都産業大学の森です。本来の専攻は中国語音韻学です。そこから発展して、『日本書紀』区分論も専門になりました。それに関連して、最近では韓国の漢字文化研究もしなければと考え、韓国語の勉強もしております。もう1つは「日中音韻交渉史」です。実は受賞者の鳩野さんや李瑩瑩さんはそれぞれの大学で、私の講義を受けられたことがあるそうで、今回このような座談会の場でお話ができて非常に嬉しいです。
山本:白百合女子大学の山本です。毎年力作の論文に刺激を受けています。日本人の作成した漢文(とりわけ、表白・願文といった仏教儀礼に関する文章)の文体史的研究が専門です。研究においては原資料から出発することを大切にしています。昨年末には、長年調査を希望していたパリにある敦煌文献(ペリオ本)を見ることができました。今後も現地に出かけていって実物の古文献を見たいと思っています。
笹原:早稲田大学の笹原です。学部時代は中国文学を専門にしていましたが、中国の漢字を溶け込ませた日本に興味の中心が移り、大学院では日本語学に籍をおきました。私が面白いと思うのは、古代から現代に至るまでに中国から日本へ漢字が入ってきた際に、中国語と日本語は全く違うのに、日本人は漢字を使って日本語を書き表す為に様々な工夫をし、漢字を「日本化」してきた点です。その経過を調べる為に文献を調べており、その際たるものが国字や国訓です。常用漢字や人名用漢字の問題もそうですが、漢字をとりまく問題は答えのないものなので、日々もがきながら研究しています。実は、今日も朝から京都を散策し、漢字の写真を100枚ほど撮ってきました。漢字とはそれだけ身近な研究対象だと思っています。
司会:では、受賞者の皆様にも自己紹介をお願いします。
早川:早川咲です。漢字の成り立ちを表す「六書」について、辞書によっての違いとその理由を検証しました。富山大学で学び、森賀一惠教授にお会いしたことがきっかけで漢字研究に関心を持ちました。現在は、会社員として研究からは離れてしまいましたが、今後も漢字の本を読んだりすることで、興味を持ち続けたいです。
李:神戸大学の李です。上代の漢字文献における「矣」の用法について研究しました。先行研究では、文末助辞「矣」が詠嘆の終助詞「ヲ」から格助詞「ヲ」へと変化したといわれています。私は「矣」について、古事記や日本書記の中で「提示用法」と「格助詞ヲ」の両方の用法があることから、文末助辞から助詞表記へと定着した経緯に「提示用法」の存在があったのではないかと考えました。先生方が中国語の音韻について研究されていることをうかがい、私自身は古典中国語について0から始めたところなので、これからお教えいただきたいです。
ナザロワ:京都大学のナザロワ・エカテリナです。出身はサハリンです。私の研究は、外国人に漢字を教える際に、新しいアプローチがないかと考え、書道を用いた漢字指導の方法について研究しました。西洋人と中国や日本の方とでは、「漢字」への認識が全く異なるため、漢字が日本語学習のつまずきの原因になることがあります。そこで、漢字を楽しく学ぶ方法の1つとして、書道を取り込む方法を考えました。
山下:東北大学の山下です。私は新字体がどのように定着したかに関心があり、「広」という漢字の字体変遷についての研究をしました。明治時代に入り鉄鋼業が発展し鉱山などで「鑛」が多く用いられたことから、簡略化した「鉱」が普及し、そこから同じ旁をもつ「廣」も「広」という字体になったのではないかと考えました。
鳩野:関西大学で非常勤講師をしています、鳩野です。私は「字体」という言葉は論者によって用いられ方が違うため、学説史的なものを目指して由来を調べました。最終的には私見も交えた内容になり、課題も残る論文ではあります。もともとは中国文学が専門で卒業論文では「干禄字書」を研究しました。その後、佐々木猛教授の影響で語学研究に興味が沸き、岡島昭浩教授がいらしたこともあり、国語学や漢字の慣用音を中心に調べております。
<総合的感想>
山本:総じて受賞者の皆さんに共通しているのは、研究に関するオリジナルな種を持っており、それを伸ばそうとした発展性のある研究者であるという点だと思います。また、調査方法も、機械を用いて短時間で検索するだけではなく、文献を一つ一つ調べる、またはフィールドワークで足を使って調べるなど、丁寧でかつ緻密な点も高く評価できる点です。今回の受賞を機に、ぜひ今後も頑張って優秀賞、最優秀賞を目指して研究を続けていただきたいなと思います。
森:若手の研究者が対象の賞となっているところが面白いですね。論文としては、もう少し改善できそうなものもありますが、総じて研究に対する熱い気持ちが入っている論文が選ばれているように思います。
阿辻:本賞は今年で6年が経ちました。今から20年程前、若い世代の漢字研究者といってもなかなか思い浮かぶ人がいませんでした。ところがここ10年は、笹原先生をはじめとする素晴らしい若手研究者がめきめきと出て来て、またさらに次の世代、つまり今回の受賞者の皆さんの世代も次々と表れてきています。かつて「絶学」と言われた漢字研究の世界において、本当に頼もしい限りです。今の若い方々の研究は、非常にバラエティに富んでいます。
<漢字研究に関心をもったきっかけ>
司会:受賞者の皆さんは、それぞれどのようなきっかけで「漢字」を研究対象にしようと思われたのでしょうか。
早川:もともとは書道がとても好きで、漢字を勉強したくて中国言語文化分野に進んだのですが、文学を調べる人が多くてどうしようかと思っていたら、森賀教授にお会いし、漢字研究の分野に進むことができました。阿辻先生の「漢字学」も読みました。
阿辻:それはうれしいですね。
李:私は、修士の頃の先生が仏教哲学の専門で、私が漢字を勉強したいといったところ、「勝鬘経義疏(しょうまんぎょうぎしょう)」をやってみないかと勧められたので、研究をはじめました。しかし、宗教の基礎がなかったので、自分の手に負えないなあと思っていたところで、上代の変体漢文に興味を持つようになり、博士課程では日本語学の分野に進みました。中国でも中国文学を研究している人は多いのですが、音韻学や漢字学を専門にする人が少ないので、将来は中国に戻って、漢字の研究をもっとしたいと思っています。
森:上代文献は他にもいろいろありますので、「矣」だけでなく、様々な文字の研究を深めていってください。
阿辻:ナザロワさんは何故日本語に興味を持ったのですか?
ナザロワ:サハリンは日本に近く、交流も多いので身近に感じていました。ソ連時代にはだいぶ壊されてしまったそうですが、戦前に建てられた建物や鳥居などが今も残っています。博物館には、漢字の書かれた戦前の日本の建物がそのまま使われているので、小さい頃遊びながら、「ロシア語でもなく英語でもない、何の文字だろう」と思っていました。
阿辻:日本語学科に進んだのはそうした経験から?
ナザロワ:文化交流で、日本の華道などを体験したり、映画を見たりして日本への興味が深まりました。ロシアの大学で漢字を勉強したかったのですが、どうやって勉強したらいいのかがわかりませんでした。そんなとき、たまたま図書館に漢検3級の問題集があって、これならできるかもと思って自分で調べて勉強し始めました。とりあえず全ての文字を書き写すところから始めたら、だんだんと楽しくなってきて、なんとなく、同じ旁だったら同じ読み方の漢字が多いな、とか、偏は意味を持つことがあるんだな、というのを体験的に理解するようになりました。
阿辻:書道を日本で勉強しようと思ったのは?
ナザロワ:日本の文化や歴史をもっと見てみたいと思ったのがきっかけです。書道も伝統的な文化の1つだと思いました。
司会:漢検は2級まで取得されているとか?
ナザロワ:はい。ちょうど論文を書く時期に、並行して漢検の勉強をしていたので、とても役立ちました。でも、四字熟語や類義語は日本語能力試験にも出ないので、勉強は大変でした。私自身が日本語や漢字の学習でとても苦労したので、できれば指導者になってなるべく簡単に勉強できるような環境を作っていきたいです。最近気になっているのは、手書き文字と活字の字形の違いです。漢字を見慣れている人は、手書きの文字と印刷文字の形が違っても、同じ漢字であると認識できますが、非漢字圏の人間には非常に難しいのです。これは非漢字圏の人たちの漢字学習を阻害している原因の1つにもなっています。ちょっとしたフォントの違いでも混乱してしまい、「どれが正しいのかわからない」と思ってしまうのです。
司会:なるほど、漢字になれている私達には気づかない視点ですよね。山下さんはいかがですか?
山下:私の場合は、学部2年生のときに異体字を覚えようという授業があり、その中で自分が好きな異体字について調べる課題が出されました。調べていく過程で今では見たこともない異体字が史料の中にたくさんあることがわかり、昔はこんなに形があったのは不思議だな、どうして今の形に統一されていったのかなと感じたのがきっかけでした。
阿辻:「広」という字を選んだのはなぜですか?
山下:演習の時には、「広」は他の先輩が調べていたのですが、明確な答えがわからなかったので、卒業論文のときに取り組みました。
森:では、今回の研究はもともとの卒論から広げられたのですね。この論文は本当に力作だと思いますし、他の異体字でも研究が広げられそうです。3年前には同じ大学のジスク・マシューさんが本賞を受賞されていますが、今回の応募にはその影響もあったのでしょうか。
山下:はい。マシュー先輩は同じゼミの先輩で、勧めもあって応募しました。
笹原:同じ景色や文献を見ていても、その中の漢字に着目し、さらに「なぜ」と思うか思わないかが大きな違いになりますよね。
山本:マシューさんも本賞を受賞された後、様々な学会発表で活躍されていますよね。これからもぜひ頑張ってください。
司会:では、鳩野さんはいかがでしょうか?
鳩野:実は、私は小学4年までは漢字が大嫌いな子供でした。というのは、母が書道も嗜んでいたので、漢字は筆順どおりにきれいに書かないといけないと厳しく指導されたので、今でも「涙でふやけた漢字ノート」が残っているほどです。父が小学4年生の頃に斎賀先生の『小学生の漢字辞典』を買ってくれて、その成り立ち欄に興味を持ちました。「着」と「著」が元々同じ漢字だったなど、その歴史を知るようになってからはすっかり漢字が好きになり、小学校高学年の頃には漢字マニアになって、雑学本を集めていました。中学生の頃、職員室で『大漢和辞典』に出会い、こんなすごい辞書があるのか、いつか買ってやるぞ!と思っていました。高校生の頃には白川文字学に出会い、7年ほど白川先生の文字講座にも通っていました。大学時代は中国文学に進んだ後、音韻学、語学的な方面へ興味を持ち、今は本格的に漢字音を中心に研究できればいいなと思っています。
阿辻:今は『大漢和辞典』はお持ちですか?
鳩野:はい。大学入学の祝いに買ってもらいました。今回の研究のきっかけは、アルバイトで1930年代の写真を見ることがあるのですが、その中に写っている手書きの文字を見ると、当時は様々な字体で書かれていて、その違いにまったく頓着していないことが面白いと感じたことです。
司会:やはり、「なぜ?」と思うことが大切なのですね。
阿辻:鳩野さんが指導されている学生さんで、漢字に興味をもっている学生はいますか?
鳩野:阿辻先生の漢字のコラムを読んで、漢字に興味を持ったという学生がいます。
笹原:日本語学の世界では、昔から文法や方言は人気があるのですが、表記はなかなか関心が向かない分野でした。日本で起こっている文字の問題は、日本人自身が解決しなければならない問題のはずなのです。最近では、阿辻先生や森先生のような先生方が文字研究を広めてくださったお陰で、文字や文字による表現の分野も学問的な位置付けと再評価が得られるようになりました。
森:いわば、穴場の研究分野ですよね。
笹原:漢字の問題はあちこちに転がっていて、解答がまだないものもたくさんあります。
阿辻:そもそも漢字廃止を目指した時期もあったので、漢字が見直されたのも最近ですね。皆さんのような若い方達にとっては、いい時代になってきていると思います。漢検の受検者は年間200万人以上いて漢字を学習する人は非常に増えてきました。この時代に研究者も増えてくれれば、漢字研究と学習の両方の発展につながると思います。
司会:そうですね。若手研究者の皆さんが活躍してくださることで、ますます漢字研究や漢字そのものへの評価、関心が高まっていくと思います。当協会としても引き続き支援ができればと思います。本日は、貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。受賞者の皆様、今後もますますのご活躍をお祈りします。
前列左から 笹原教授、山本教授、阿辻教授、森教授
後列左から 早川さん、李さん、山下さん、ナザロワさん、鳩野さん
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