基礎学力を考える 企業トップインタビュー
株式会社セブン&アイHLDGS.
代表取締役社長 兼 最高執行責任者(COO) 村田 紀敏 氏
1944年生まれ。1966年法政大学経済学部卒業。1971年株式会社イトーヨーカ堂入社後、取締役・企画室長、販売事業部長、専務取締役専務執行役員最高財務責任者(CFO)(管理本部長兼人事本部長、システム本部長、人事室長、人事部長、グループ人事相談部長兼務)を歴任。2005年9月に、株式会社セブン-イレブン・ジャパン、株式会社イトーヨーカ堂、株式会社そごう、株式会社西武百貨店、株式会社デニーズジャパン等の持株会社として、株式会社セブン&アイHLDGS.が設立。同時に現職に就任。
1.社会において求められる6つの「基礎学力」
社会や企業で求められる「基礎学力」について、私自身の経験も踏まえて考えてみますと、主に以下の6つが思い当たります。
(1)数字を読み取る力とその背景にある人間行動への推察力
私は当社に就職する前は、鉄鋼メーカーで経理の仕事をしていました。実際に工場の現場に立って作業を観察したことがあったのですが、そこで職人さんのちょっとした勘による僅かな技が、不良品率等の生産効率に大きな影響を与えることを目の当たりにしたのです。この時ほど数字に表れることの背景にある人間の行動を見通すことの大切さが身に沁みたことはありません。
なにも難解な数式が解ける必要はありません。数字が表していることの意味や、その背景にある人間の行動を常に考えることが重要なのです。数学力と推察力は社会に出るまでに身につけてきて欲しいと思います。
(2)頭で理解したことを実践を通じて体得していく力
当社が新しい店舗をオープンする時というのは、経験の少ない従業員が大量のお客様の接客をするという、非常に緊張感のある局面です。もちろん、開店前からベテランスタッフを派遣し、従業員の教育を行います。
ある店舗でこのようなことがありました。開店後しばらくが経過し、軌道に乗った店舗からベテランスタッフが引き上げようとした際、従業員から「再教育を受けたい」という要望が出されたのです。理由を尋ねると、「開店前研修の時には頭では理解したつもりであったが、実際に現場で実践してみると新しい疑問や確認すべき点が出てきた」というのです。
私はそれを聞いて非常に嬉しく思いました。「頭で理解する」だけでなく、「実践を通して磨き上げ、体得する」ということが、「学ぶ」ことの本質だと思うからです。彼らの姿勢は、新店舗を軌道に乗せる経験を通じて、「受動的学習」から「能動的学習」へと変化しました。
このように「理解するだけでなく、実践訓練を通じて体得していく」という本質的に学ぶ力も、是非身につけてきて欲しいと思います。強制的で受動的な学習から主体的で能動的な学習へと変化していく過程こそが、「学習する力」そのものなのですから。
(3)コミュニケーションを支える言葉の表現力
小売業やサービス業の現場では、年代や雇用形態や趣味等が異なる従業員同士が協働し、様々な価値観やライフスタイルを持つ顧客と接する必要があります。つまり、社内のチームワークや顧客との対話が非常に重要になります。その際に求められるのが、従業員の表現力です。
自分と異なる価値観を持った相手を受け止めるためには、相手の表現を理解できるだけの言葉を持っていることが求められますし、自分の伝えたいことを表現するための言葉を持っていることが必要となるからです。
(4)正解にたどり着くための多面的なプロセス思考力
企業や社会における問題や課題の解決の仕方はひとつではありません。ある方法が上手くいかなかった場合は、すぐに別の方法を試す必要があります。また、気候・人口動向・流行等の様々な「変動要素」が複雑に絡みあい、お客さまのニーズが刻々と変化することが、小売業の最大の特徴です。事前に、幾重にも仮説と具体的解決策を立てておかなくては、即時対応は不可能なのです。
この重層的な仮説立案の基盤には、多面的なプロセス思考力があります。この能力を磨くためには、数学の文章題等をなるべく多く解くと良いでしょう。数学において正解にたどり着くための道筋はひとつではなく、正に多様な思考プロセスが学べるからです。入試のための知識量を増やすことよりも、多面的に思考する力そのものを鍛えておけば、一生の財産となることは間違いありません。
(5)好奇心に基づいた「気付く力」とそれを整理構造化する力
「変動要素」に対応する力というのは、小売業に限った話ではありません。変化の激しい現代では、あらゆる企業が常に変化に対応することが求められます。従って、その変化に気付く力と、それを常に整理して頭の中で構造化する力が必須となります。
こう言うと難しく聞こえるかもしれませんが、要するに「社会や人に常に興味・関心を持ち続け、記録し、整理し続ける力」ということです。日常における「なるほど」「そうだったのか」という「点」の気付きを記録し、それを時折見直して再整理することで、新しい発想につなげていく。この繰り返しが大切なのです。私自身もずっと「気付き手帳」と「整理メモ」の2冊を持ち歩き、日常的に活用しています。
(6)読書習慣を通じて得られる想像力
小学生の頃、私はコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」が大好きで、シリーズ全てを読破しました。表現力に富んだ文章は、子供だった私の想像力を大いに刺激し、ワクワクしながら読み進んだものです。今考えると、このような読書体験が私の想像力を鍛えてくれたのだと思います。
現代に氾濫している映像による情報は、制作側の想像力によって既に固定化された情報であり、残念ながら受け手側の想像力を喚起することはありません。どのようなジャンルからでも構いませんので、なるべく早い段階から読書をすることを習慣化し、想像力を身につけると良いと思います。
2.人は「評価者」から褒められたり叱られたりしながら成長する
人間は、常に誰かによって評価されながら成長していきます。褒められたり認められたりすれば嬉しいし、叱られれば悲しい。それは、大人でも子供でも変わらないと思います。
人間にとって最初の「評価者」は、言うまでもなく親です。絶大な「評価者」である親から、褒められたり叱られたりしながら「すべきこと・やってよいこと」や「してはならないこと」を学んでいくのです。
最近の親の中には、自分の子供が行ったいたずらを注意されると、「うちの子に限って、そんなことをするはずが無い」と主張する方もいらっしゃると聞きます。そんな方々は、子供は生まれながらに正邪の判断ができると思っていらっしゃるのかもしれませんが、そんなことはあり得ません。いたずらという行為は好奇心の現れであり、成長過程の中で欠くことのできないものです。それに対して「評価者」である親が適切に指導し、最低限の道徳心などを身につけさせることこそが成長の第一歩となるのです。
学校に通い始めると、最大の評価者は「先生」になります。教員はそれを充分に理解した上で、子供達が「するべきこと」を実行したときには褒め、「してはいけないこと」をしてしまったときには叱るということを繰り返し行うことが求められます。学齢期の子供は、そういった評価の過程の中で、社会に出るための常識や正邪の判断を身につけていくのではないでしょうか。
それでは、社会に出てからの「評価者」とは誰でしょうか。「上司」と考えがちですが、それは間違いです。答えは「お客様」です。いくら上司から評価されても、顧客を喜ばせることができなければ、会社の業績は伸びません。特に小売業においては、最先端の現場に居る従業員が顧客に「褒められる」行動を取れたかどうかが、売り上げに直結するのです。
3.「競争」があってこそ、その人の優れた点を発見し、伸ばすことが可能になる
私は子供たちに「競争」をさせることも、個々の優れた才能を発掘し、伸ばすためには必要であると考えています。「子供たちが傷付かないように競争させない」という意見もあるようですが、私はそうは思いません。
競争する中で個々人の優れた点が浮き彫りになるからこそ、人は自分の強みを知ることが出来るのです。「全知全能」の人もいなければ、「無知無能」の人も存在しません。適切な競争原理を導入すれば、全ての子供たちが自分の強みを知り、意図的に伸ばすことが出来るようになるでしょう。人の美点や秀でた点を発掘できない指導が、果たして指導と呼べるのか、大いに疑問です。
4.社会全体での「基礎学力」向上を
読み書き計算といった基本的な領域ですら、学習指導要領に定められた範囲を習得しないまま卒業していく生徒達も多いと聞いています。そんな子供達が社会に出て行く時のことを思うと、いたたまれない気持ちになります。前述した6つの「基礎学力」全ての土台となるのは、読み書き計算だからです。
学習指導要領に定められている範囲は、全ての生徒が社会に出るまでに最低限身につけるべきことと定義されているそうです。この範囲に関しては、例え強制的にでも全ての生徒に必ず身につけさせるべきだと思います。その中でも、特に土台となる読み書き計算等の領域は、それぞれの「評価者」が継続的に褒めたり叱ったりしながら、粘り強く目標まで到達させるべきでしょう。
学生時代には教員や保護者に、社会に出てからは上司や顧客に、褒められたり叱られたりしながら、人は育ちます。誰もが誰かの「評価者」であることを自覚し、社会全体として人々の「基礎学力」を向上させていくことが重要だと思います。
※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。