基礎学力を考える 企業トップインタビュー
ソニー株式会社
相談役 大賀 典雄 氏
1930年生まれ。1953年東京芸術大学卒業後、同年東京通信工業株式会社(現ソニー株式会社)に嘱託社員として入社。その後、音楽留学し1957年ドイツベルリン国立芸術大学卒業。1959年正式な社員としてソニー株式会社に入社し、参与となる。1968年CBS・ソニーレコード株式会社(現株式会社ソニー・ミュージックエンターテインメント)設立に伴い、代表取締役専務に就任。代表取締役社長を務めるかたわら、1972年ソニー株式会社常務取締役に就任。その後、代表取締役社長兼COO、CEO、代表取締役会長、名誉会長等を歴任し、2006年より現職。社外活動では、社団法人日本経済団体連合会顧問、財団法人東京フィルハーモニー交響楽団会長、東京文化会館館長などを歴任。1988年藍綬褒章、1996年フランス「レジオン・ドヌール」勲章、2001年ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章星章、同年勲一等瑞宝章等を多数受賞。
1.基礎能力は相応しい年齢までに「体得」しないと手遅れになる
「基礎学力」を始めとする全ての基礎能力は、それを「体得」するに相応しい年齢があると考えます。
ここで言う「体得」とは、得た能力が文字通り体に沁み込み、一生使える力になるという意味です。習った瞬間だけ理解して、テストが終われば忘れてしまうような、表面的な「学習」とは根本的に異なります。もちろん、第一義的には「学習」が不可欠なわけですが、それを本当に「体得」できるまで、繰返し「訓練」することが重要です。
基礎能力の中には、その年齢でなければ「体得」できないものもあると聞きます。その頃までに「学習」「訓練」する機会をもてなければ、その後にどんなに努力をしても手遅れです。せっかく与えられた天性を活かすことができず、結果として可能性の芽を摘んでしまうことになるのです。
例えば、多くの人にとって身近な掛け算の九九も、小学校2年生位までに「学習」「訓練」を通じて「体得」しているからこそ、一生活用できているのです。私は、2007年現在で75歳を超えていますが、掛け算の九九は健在です。しかるべきタイミングまでにきちんと「体得」された基礎能力は、一生消えないということを実感しています。
このような例からも明らかなように、必要な基礎能力を一生活用できるようにするためには、しかるべきタイミング、即ち相応しい年齢までに、徹底的に叩き込んでおくことが絶対に必要であると思います。
とりわけ「基礎学力」は基礎能力の代表とでも言えるものであり、全ての人が「体得」すべき能力でありましょう。「基礎学力」の不足は、人生の可能性の芽を摘みます。慌てて取り返そうとしても、「体得」不可能な年齢になってしまっていては手遅れなのです。
余談ですが、当社は勿論、グローバルに活躍するIT企業などの多くが、インドに研究所を置いています。その最大の理由は、インド人の多くが小学3年生までに99×99の掛け算の九九を「体得」しており、この優れた「基礎学力」を土台に持った数理思考に優れたエンジニアや研究者が多数存在しているからです。
2.仕事で必須の読み・書き・計算は、居残りさせてでも叩き込むことが必要
読み・書き・計算といった「基礎学力」が、仕事を行う上でも社会生活を営む上でも必要不可欠であることは言うまでもありません。これらが無ければ、「考える」ことも「コミュニケーションを通じて意思疎通を図る」ことも「提案する」ことも「シミュレーション」することも、何一つ出来ないからです。そしてこの読み・書き・計算も、しかるべき年齢までにきちんと「体得」させることが必要です。
漢字力を例にとると、文部科学省が定めている学習指導要領を見れば、各学年毎に「体得」すべき配当漢字がはっきりと示されています。テストや検定をしてみて、それを「体得」していない児童や生徒がいた場合は、居残りをさせてでも、繰り返し繰り返し「学習」「訓練」させるべきでしょう。それでも「体得」できなかった場合には、たとえ義務教育期間であっても留年させる覚悟を持つべきだと思います。
現在、教育基本法の60年ぶりの改訂を受けて、学習指導要領の改訂も検討されていると聞いています。これを機会に、「何歳(何年生)までに、どんな能力を、どこまで体得させるべきか」を科学的に検証し、年齢ごと(学年ごと)の明確な到達目標を設定することが肝要だと思います。そして、設定した到達目標までは、徹底的に「訓練」し、何が何でも「体得」させるのが、本当の愛であると思います。子供達に一生ものの「基礎学力」を、手遅れになる前に「体得」させ得るかどうかの瀬戸際だからです。
最近の学校教育は、「IT時代だからパソコンを」「グローバル社会だから英語を」といったように、目新しい内容を次々と付け足していっているように映ります。それをその年齢(学年)で学ばせる科学的根拠があれば良いのですが、私には根拠のない対症療法に感じられます。パソコンや英語は大人になってからでも「体得」可能ですが、読み・書き・計算はその年齢に「体得」できなければ手遅れです。今でなければ「体得」できない、あるいは今「体得」することが最も効果的な能力の「訓練」にこそ時間を割くべきでしょう。
3.仕事で必須の読み・書き・計算等の「基礎学力」のない人は採用しない
CBS・ソニーの社長時代には、新卒採用の際、「大学の成績表はいらないから、小学校の成績表を持ってきてください」という面接を行っていました。音楽を専攻している学生達は、往々にして音楽修行にのめり込み、大学の成績は卒業までギリギリという場合も多く、大学の成績はあまり参考にならなかったからです。逆に、小学校時代に天性の輝きを持っていたり、基本となる「基礎学力」を身につけてきた学生は、入社後いくらでも才能を伸ばすことができたのです。
ソニーでは、入社内定時に「TOEIC」のスコアを参考にしてきました。今後は「漢検」に関しても、採用条件化の検討を行う必要があるかもしれません。若者全体の「基礎学力」が低下傾向にある為、当社を受けに来る層の大学(院)卒業予定者に関しても、「基礎学力」を含む基礎能力の「体得」状況を確認する必要があると感じています。
4.仕事で必須の「チャレンジ精神と情熱」、それは学校時代の「成功体験」から
ソニーの財産は人であり、当社がその人にとって「自由闊達で愉快なる理想工場」であることは、これからも変わることはありません。そして、当社で働く人が成長しない限り、会社の成長もありません。ですから、自らが成長することや挑戦することへの意欲を持った人に、仲間になって欲しいと思っています。
この意欲の源泉は、学校時代の「成功体験」にあると思います。どんなことでも構わないので、目的や目標を持って夢中になって努力し、達成したり褒められたり、時には挫折したりする経験を持つことが大切です。
私自身も小学校の頃、担任の先生に「聴音能力が非常に優れている」と褒められたことがあり、その後に音楽の成績が格段に向上しました。先生に認められたという「成功体験」が、自信に繋がったことを良く覚えています。自分が周囲から認められたという「成功体験」は、多くの児童・生徒に持たせてあげる必要があると思います。そのための目標設定や、夢中になれる事を発見するための手助けが、大人の重要な役割の一つだと思います。
5.仕事で一流を目指すには「考え抜く」こと、それを支える「語彙力・漢字力」
長年の経験から、アイディアが豊富な人や、会議で鋭い発言をする人は、その殆どが「考え抜く」という習慣を持っていると感じています。「ひらめき」は、考え抜くプロセスを省いては決して生まれません。そして、このプロセスにおいては日本語の語彙力・漢字力が決定的に大切であり、それらを駆使して練りに練ることが大切なのです。
例えば、私自身もCBS・ソニーの社長時代に、自社の求人広告を幾日間も考え続け、文言を練りに練りました。当社の将来を共に背負って立つ同志を、真剣に集めたかったからです。「CBS・ソニーに非常に興味をお持ちの方」「CBS・ソニーで音楽の夢を実現したい方」「CBS・ソニーで思い切り実力を発揮したい方」など、欲しい人材像を16項目の箇条書きにしたのです。この求人広告は大きな反響を呼び、優秀な同志を多数仲間に加えることができました。
6.学歴は無用、体得した基礎能力の質が問われる
ソニーの創業者のひとりである盛田昭夫氏は、その著書『学歴無用論』の中で、「教育の『質』が問われるならばまだ解る。『場所』というのは正常ではない。」と喝破していました。ここで言う「場所」すなわち「出身校」では、その人物を評価しようがないという意味です。この本が書かれたのは、大学卒業者が今よりもずっと少なかった昭和40年頃です。大学進学率が高卒者の50%を超えている今、このことはより真実味を増していると思います。
入試突破という目前に控えたハードルのことを、「無意味だから考えるな」と言うつもりはありません。ですが、向こう数年間のための入試対策よりも、その後の何十年にもわたる社会人生活・仕事生活で一生役立つ「基礎学力」の「体得」の方が、より重要なのは言うまでもないはずです。この「基礎学力」を全ての児童・生徒が、それぞれの学年(年齢)で、漏れることも遅れることもなく、遍く身につけることを切望してやみません。一人ひとりの、個性や天性を開花してあげる為にも。
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