基礎学力を考える 企業トップインタビュー
王子製紙株式会社
代表取締役社長 篠田 和久 氏
1946年生まれ。1969年一橋大学法学部法律学科卒業後、同年王子製紙株式会社に入社。苫小牧工場工場長代理、執行役員関連事業本部長、常務執行役員経営管理本部長、常務取締役等を歴任後、2006年より現職。
1.当社が社員に求める基礎能力は「対話力」
当社の社員に期待する基礎能力は、何よりもまず「対話力」です。いくら頭脳が明晰で、事務処理能力に優れていても、「対話力」の無い人材には活躍の場はありません。
そもそも会社とは、一人では実現できない、ある成し遂げたいことのために、志を同じくする者同士が集まった組織体です。つまり仕事とは、決して一人では行えないのです。プロジェクトチームなどで人の意見に耳を傾けず、自分勝手に物事を進めるような人材は、企業には必要ありません。
昨今、多くの企業経営者が、若い人たちの「対話力」に対して不満を抱いています。また、その向上への努力が不足している若者も散見されます。私自身も、そうした不満がないわけではありません。ただ、これは個々人を責めたり、犯人探しをするような問題ではありません。対話を行うために必要な素養や、その素養を支える「基礎学力」の育成も含めて、社会全体で反省し考えていかねばならない問題でしょう。
2.対話を行う人に必要な「社会常識」と「多様性受容力」
対話の中で相互理解を果たすためには、対話を行う人同士に「社会常識」が備わっていることが大切です。「社会常識」とは即ち、「人と協調すべき時に協調し、人の話を聴くべき時に聴けるかどうか」です。
昨今では、日本人全体のモラルの低下、つまり「社会常識」が希薄になってきていることが社会問題となっています。昔から「反社会的」な人というのはいましたが、最近の問題の特徴は、引きこもりなどに代表される「非社会的」な人が増えていることだと思います。
常に「自分が正しい」と考え、周囲を受け入れようとしない人には「社会常識」が身につかず、「非社会的」な立場に陥る可能性が高いでしょう。一方で、周囲の話に耳を傾ける力があれば「社会常識」が備わり、たとえ引きこもりになったとしても、そこから脱却することが十分に可能だと思います。
対話を行う場面でもうひとつ問われるのは、「多様性を受け入れる力」です。自分とは異なる意見を聴いた時に、まずはそれを受け入れられる力がなければ、協調することなど不可能だからです。
この力が不足してきている背景には、「大勢で遊ぶ」機会の減少が大きく影響していると思います。子どもの頃に複数の友達と遊ぶ中で、すべてが思い通りには進まないことを学び、周囲の意見に耳を傾ける力が養われます。最近はテレビゲームなど一人で遊ぶツールが増えていますが、こうした遊びの変容が子どもたちの「多様性受容力」の低下を招いているように思われます。
3.「社会常識」と「多様性受容力」を支える「基礎学力」
「社会常識」や「多様性受容力」を修得するために欠かせないのは、上記の「大勢で遊ぶ」ことに加えて、本を読むことであると思います。自分の経験だけで学べる範囲には限界があり、多くの人の生き方や考え方を、読書を通して追体験する必要があるのです。そしてもちろん、読書をするためには読み・書きという「基礎学力」が絶対に必要です。
また、自分の経験で言えば、最も役に立った「基礎学力」は計算力、特に暗算の力です。私は小学校4年生の時、約半年間ほどそろばん塾に通い、比較的早い時期に珠算能力検定の3級まで到達しました。ここで暗算のスキルを身につけたことは、後々に社会人となってから、業績管理や企画資料の作成など数字を伴う業務においてはもちろん、私生活においても大きな武器となりました。30代前半頃までは、ボウリングの点数計算や麻雀の精算くらいは瞬時に暗算できました。今でも、そろばんの玉は頭に浮かんできます。
今後、当社ではアジアをはじめとする世界市場での活動を活発化させたいと考えています。そうした視点から、会社として高い語学力を有した人材を求めていますが、外国語を習得する上で、実は日本語力がとても重要になってきます。
当社の海外担当の役員から聞いた話ですが、日本人である限り、日本語よりも英語が上手になることはないそうです。相当の期間英語圏に在住しない限り、英語で直接思考することはなく、まず日本語で思考した後に英語に置き換えて話をするからです。言い換えれば、日本語が上達しない限り、英語力を向上させることもできないわけです。その意味でも、外国語を学ぶ土台となる確かな日本語力を、早い時期に確立しておくことが求められます。
また、当社では、高い語学力だけでなく国際的な視野を持った人材を必要としています。ここで言う国際的な視野とは、各国の歴史や経済、世界情勢などに精通していることも挙げられますが、一方で忘れてならないのが、日本の文化や歴史についてよく知っておくことです。国際社会で活躍しようとするビジネスマンが、自国のことを聞かれて答えられないのは、実に恥ずべきことだと思います。
好奇心を持って考え、目標を立て、それに向けて努力すること。こういった基本行動が、企業活動の基盤にほかなりません。「基礎学力」を習得する過程において、こういった意欲と行動を身につけてきて欲しいと思います。全ての行動の源泉とは、何をおいても本人の意欲なのです。
4.「基礎学力」習得の苦労は大人が責任を持って子供に負わせるべし
私が中学2年生の時、学校で読み・書き・計算の全校一斉テストがありましたが、3年生を抑えて一番になったことがありました。計算はそろばんのスキルが活きたのですが、読み書きについては無類の読書好きだったことが奏功したのだと思っています。片っ端から本を読み、分からない言葉が出てくる度に辞書を引いて、言葉の意味を覚える。そうした手間を惜しまなかったことが、読み・書き能力の向上につながったのだと思っています。
もう一つ、読み・書き能力を高める上で欠かせないのが、手で「書く」ことです。実を言うと、私はあまり字が上手くないので、世にワープロが出た当時は真っ先に飛びつきました。でも、そのせいか最近は新たな知識をインプットする力が落ちてきたように感じています。その反省を踏まえ、最近は手で「書く」ことを再開しているところです。
そろばんを習得することも、辞書を引いて本を読むことも、手で「書く」ことも、手間を伴う面倒な作業です。でも、そうした苦労があるからこそ、「基礎学力」が身につくのだと私は思います。
私にそろばんを教えてくれた先生は、当時大学生くらいでしたが、とても厳格な人でした。私が短期間で3級に合格できたのは、その先生が厳しく、ねばり強く指導してくれたおかげだと感謝しています。
知識やスキルを習得させる場合、実は「応用・専門」領域よりも「基礎基本」領域の指導の方が難しいと言われています。なぜならば、「応用・専門」領域は興味を持てば誰しもが自主的に学びますが、「基礎基本」領域の習得には上記のような苦労が伴うものであり、忍耐力が求められるため、逃げ腰になり易いからです。だからこそ、子どもの自主性に任せるだけではなく、学校の先生や保護者などの大人が責任を持って指導・訓練する必要があるのです。
5.「基礎学力」は国際競争に晒される前までに身につけてほしい
昨今、経済のグローバル化を受け、企業は激しい国際競争の波に晒されています。そんな中、企業に入社すれば即戦力となることが求められます。入社後は、じっくりと本を読んだり、歴史や文化、哲学などを学んだりする余裕は少なくなりがちです。その意味でも、少なくとも「基礎学力」は大学を卒業するまでの間にきちんと身につけてほしいと思います。逆に仕事に必要な「応用・専門」領域のスキルは、「基礎学力」を基盤とした「対話力」さえ養っておけば、社会人になってからいくらでも身につけることができるものです。
もちろん、歴史や文化などは、ビジネス的な視点から見れば、その全てが直接的に役立つとは限りません。歴史に関して言えば、個々の事象に関する解釈は流転していくため、数学や物理のような絶対的な正解があるわけでもありませんから尚更です。しかし、こうして身につけた歴史観や大局観などの「無用の用」的な「基礎学力」こそが、人間的な幅を作り、発する言葉一つひとつのバックグラウンドとして、その人の魅力を高めてくれるのだと私は思います。
※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。