基礎学力を考える 企業トップインタビュー
株式会社みずほフィナンシャルグループ
取締役社長 前田 晃伸 氏
1945年生まれ。1968年東京大学法学部卒業後、同年株式会社富士銀行入行。取締役融資企画部長、取締役総合企画部長、副頭取財務統轄役員などを歴任。2002年株式会社みずほホールディングス取締役、同取締役社長、2003年より現職。
1.人類と動物の決定的な違いは 「思い」を「言葉」と「文字」に表し 「行動」を起こせること
現在の地球上では、人類が最も発展し偉大な文化・文明を築いています。このように、人類が万物の霊長と成りえた要因は何でしょうか。人類と他の動物たちの決定的な違いとは何でしょうか。
私は、「思い」と「言葉」を持ち、それを「文字」にすることで多くの人に伝え、「行動」を起こせることにあると考えています。人類はまず、「思い」を表現する「言葉」を持っています。そのことによって、自分の「思い」を他者に伝えることができるようになりました。さらに、それを「文字」に残すことで、多くの人々に伝えることができるようになりました。それによって、たくさんの人が同じ「思い」を共有し、力を合わせて「行動」を起こすことができるようになったのです。こうして生まれたのが文化や文明です。このように、「言葉」や「文字」に基づいて「行動」を起こすことができるかどうかが、人類と動物の決定的な違いだと思うのです。もちろん、動物も「行動」を起こすわけですが、それは多分に反射的な「行動」に過ぎません。
社会とは、自立した多種多様な人々が、共生しながら暮らしていくものです。そういった社会に住む人々にとって、多くの人々に自分の「思い」や「言葉」を「文字」にして伝えること、つまり「文章を書くこと」が極めて重要な意味を持ちます。社会の中で自立した個として生きるためには、自分の頭で考え抜き、それを文章にして他人に伝えるという行動が要となるのです。
自立とは、精神的にも経済的にも自分の力で立っている状態を示しますが、自分の頭で考え抜くことで自分の中に軸を確立していなければ、あっという間に世間や他人に流されてしまうからです。また、情報化が著しい現代社会で仕事をするにおいて、文字情報によって自分の考えを他者に伝える能力の重要性は増しています。手紙やメールはもちろん、提案書、仕様書、稟議書、案内書など、あらゆる意志伝達の場面で「文章を書くこと」が求められているのです。自分の考えを文章にして他人に伝えられなければ、現代における仕事を行うことはできず、むろん経済的自立もあり得ません。
現代社会で自立して生きるための必要最低限の「基礎学力」とは、即ち「母国語できちんとした文章が書ける」ことに尽きると考えます。
2.文章を書く力の習得難易度が極めて高い日本語
「母国語で会話が出来る」ことと「母国語できちんとした文章が書ける」ことは、全く別次元の問題です。「会話が出来るから文章も書ける」と誤解してはいけません。母国語での日常会話は、その国に生まれ育つだけである程度は身につくでしょう。一方で、きちんとした文章を書くには、まず適切な語彙を選び取る力が求められます。さらに、事実・意見・根拠等を明確に区別して書けなくてはなりません。主語と述語を明記することで、行動の主体が曖昧にならないように書く力も必要です。「母国語できちんとした文章が書ける」ようになるには、徹底した教育や訓練が必要なのです。
ところが、日本語はその特性から、きちんとした文章を書く力を習得するのが極めて困難な言語だと言えます。日本語の最大の特徴は漢字かな混じり文であるからです。日本語は、意味の揺らぎのない表意文字である漢字と、表音文字として文脈に揺らぎや流れを与えるひらがな・カタカナを同時に駆使するという複雑な言語です。それらを使いこなすだけでも大変であるのに加えて、さらに日常的に使用される語彙の数が非常に多いのも特徴です。日本語で書かれた新聞を読んで、その内容を9割理解するために必要な語彙数は、約10,000語あるという話を聞いたことがあります。それに比べて英語新聞の場合は、約3,000語程度で読みこなせるそうです。さらに、日本語は「話し言葉」と「書き言葉」が使い分けられている言語でもあります。「話し言葉」をそのまま文字化すると、主語や述語がない場合も多いのですが、それでも日本語としては成立してしまいます。従って、きちんとした文章を書くには、意識的に主語と述語をはっきりさせ、行動の主体を明確にする必要があるのです。
これらの特性により、日本語の文章力とは日常生活で身につくものではなく、訓練なくしてなかなか身につかないものです。習得難易度が高い言語であるからこそ、例え日本人であっても、日本語で文章を書く訓練を行うことが極めて重要なのです。
3.早期の自立・自活を促すことにより 「基礎学力」習得の動機が生まれる
「母国語できちんとした文章が書ける」という「基礎学力」を身につけさせるために最も効果的な方法は、子供達や若者に早いうちに自立や自活を促すことだと考えます。子離れしていない親の元では、社会で求められる「基礎学力」の高い子供や若者は育ちにくいのではないかと思います。なぜならば、親の庇護の下にある限り、子供は自立・自活する必要性を感じないわけですから、そのための武器である「基礎学力」を苦労して習得する必要性ももちろん感じないのです。同じ理由から、親離れしない子供や若者も「基礎学力」を身につけにくいと考えます。
私自身は、大学に入学すると同時に学費や生活費を含めて、親からの援助を一切受けませんでした。自分が自立・自活する必要性に迫られたことで、大学時代に母国語の文章力は大いに鍛えられたと思います。出来れば大学入学時、遅くとも社会人になるタイミングで、親は子供に精神的にも生活的にも自立・自活させるべきではないでしょうか。親が子どもに長期間関与をすればするほど、子供の自立・自活を阻害し、「基礎学力」習得を阻害しがちになります。子供の人生に悪影響を与えるような過度な関与や長期の関与は、避けるべきだと考えます。
4.子供たちを映像の刺激から守り「基礎学力」を低下させない
「子供がテレビやインターネットを通じて映像に触れる時間は、親が責任を持って管理すべきだ」と主張されている先生方がいらっしゃいますが、私も全く同感です。小学校の1年間の授業時間数を365日で割ると、1日平均約1.5時間に過ぎません。それ以上の時間をテレビやインターネットに触れている子供に関しては、教育の成果に対して責任を負いかねるというのは当然のことだと思います。
便利な世の中になればなるほど、日常の安逸さが増し、人は刺激を求めるようになります。さらに、人は刺激に対して簡単に耐性を持ってしまいますから、刺激への欲求はどんどんエスカレートしていきます。すると、テレビやインターネットの映像は、ますます刺激的なものになっていくのが必然なのです。その強まり続ける刺激を、一方的に、しかも休むことなく脳に与え続けれられると、自律的な思考は停止し、主体性も枯れてしまうことになりかねません。その結果として、思考力や情緒力は衰えていくのではないでしょうか。自分の頭で考え抜くことも、思いを持つこともできない人間が、「母国語できちんとした文章が書ける」はずもなく、「基礎学力」どころの話ではなくなってしまうでしょう。
5.「基礎学力」向上の鍵は 習得させる内容の「取捨選択」と「優先順位付け」
時間も人も限られた学校現場で、あまりに広い範囲の事柄を教え込もうとすれば、教師も疲弊するでしょうし、子供達も疲れてしまうでしょう。非常に効率が悪いばかりか、かえって逆効果にもなりかねません。「基礎学力」向上の鍵は、習得させる内容の「取捨選択」と「優先順位付け」にあると考えます。
「優先順位」について言えば、「母国語できちんとした文章が書ける」ようになることが最優先の目的と考えますので、まず真っ先に「語彙力・漢字力」を習得させることが必要であり、続いて文章を書く訓練を行うことが重要になるでしょう。英語力などの外国語については、ある程度の年齢に達した後でも身につけられる能力ですので、それほど急ぐ必要はないと思っています。また、「読み書き」は訓練しなければ習得できませんが、日常会話レベルの「話す聞く」に関しては特に訓練をしなくても習得できるでしょう。教えるべきことをきちんと見極め、教えなくても良いことに時間を費やさないようにしなくてはなりません。
6.「思い」を実現し 達成感や満足感を持って生きよう
冒頭で述べた通り、人間は「思い」と「言葉」を持ち、「文章にして行動化する」生き物です。ですから、人間が達成感や満足感を感じるのは、自分自身で考えた目標に向かって、自分自身が考えた方法で努力し、それを達成した時、つまり「自分で設定したバーを自分で超えた時」に他なりません。言い換えれば、「絶対基準」による満足感を得た時と言えるでしょう。
逆に、永遠に満たされない状態とは、勝ち負けや優劣といった他者との比較に基づいた「状態関係」を追求している時ではないでしょうか。つまり、他者との比較による「相対比較」によって満足感を得ようとしている時です。他者との成績の比較、昇給スピードの比較、給与の多寡の比較等といった「相対比較」は常に変化し続けるものですし、常に上には上が居るものであり、永遠に達成感も満足感も得られることはないでしょう。例えば、年収500万円稼げるようになれば、年収1000万円の人をうらやましく思い、年収1000万円になれば年収数千万円の人に嫉妬する。それが人情なのです。
全ての子供達や若者が「母国語できちんとした文章が書ける」という「基礎学力」を身につけた上で、自分で設定した目標に挑戦し続け、絶対的な達成感・満足感を各段階で感じ続けるという、自立的な人生を送って欲しいと願っています。
※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。