基礎学力を考える 企業トップインタビュー
コスモ石油株式会社
代表取締役会長 岡部 敬一郎 氏
1932年生まれ。1956年京都大学経済学部卒業後、同年丸善石油株式会社に入社。1986年大協石油株式会社、丸善石油株式会社、コスモ石油株式会社が合併し、新会社コスモ石油株式会社が発足。その後、常務取締役、代表取締役専務取締役、代表取締役社長、代表取締役会長兼社長等を歴任後、2004年より現職。公職として、石油連盟会長、石油学会会長も務めた。
1.野球チームの運営と「基礎学力」
私は学生時代、近代経済学を専攻しており、「ヒューマン・リレーションズ・アプローチ(以下、HRA)」という研究について学んでいました。HRAとは、人間関係を軸として、効率的な組織運営とチーム全体の生産性向上を計るための研究です。そして、当時主将を務めていた大学の野球部で、HRAから学んだノウハウをチーム運営に生かすよう試みていました。部員への動機付けや効率性の高い練習によって、いかにチームを強くするかを常に考えていました。
これはつまり、経営の疑似体験に他なりません。この経験は、後に社会人となり、経営者となった後も大いに役立ちました。
学びの本質は、学んだ内容を「記憶すること」が目的ではなく、「実践に活かすこと」が目的であるという点にあります。そして「基礎学力」とは、世の中の仕組みを理解し、自立した生活を送るために必要な最低限の知識です。「基礎学力」として学んだ内容を、単に暗記して終わるのではなく、自分の身近な部分で使っていくことが重要なのです。そうして身につけた、生きた「基礎学力」は、その後の人生で一生役立つ糧となるでしょう。
野球部へのHRAの活用の際に重視したものの一つが「役割分担」です。チームでは、全部員がレギュラーになれるわけではありません。ですが、代打や代走、コーチ、相手ピッチャーの癖を盗む役など、レギュラー以外にも必要な役割は数多く存在します。全てのメンバーに役割を付与し、全員がチームに貢献できる体制を創り上げました。
このように、それぞれに与えられた「役割」の意義や意味について説くのも、指導者や大人達の「役割」でしょう。同様に、先述した「基礎学力」の大切さについて説いていくのも、大人達の責務であると思います。
もうひとつ重視したのが、「効率性」と「効果性」です。当時はまだ高度経済成長前で、「効率」「効果」という言葉すらも一般的ではありませんでした。ですが、私は当時から、少ない人数と限られた時間の中で、最大の成果を出すための工夫を行っていたのです。
「基礎学力」についても、社会に出るまでの限られた時間の中で習得しなくてはなりません。学ぶにあたっては、「効率性」と「効果性」を意識しなくてはいけないのです。それは、入試対策に走って近道をするという意味ではありません。学ぶべき内容の優先度(「効果性」)を見極め、定められた期間で習得すること(「効率性」)を追求すべきです。学ぶべき時に、学ぶべき事を、きちんと学ぶ必要があるのです。
2.チームワークに欠かせない「言葉の使い方」という「基礎学力」
チームワークを発揮するために欠かせないのが、適切な「言葉の使い方」です。HRAでは、コミュニケーションの手段のひとつとして「言葉」をとても重視しています。
そのひとつが、主観と客観の使い分けです。例えば、暑がりと寒がりが同じ部屋に居て、両者が互いに「暑い」「寒い」と主観だけを主張すれば、喧嘩になるでしょう。お互いが自らの主観であることを意識し、相手に対して柔らかな表現をすることで、人間関係は折り合いがつくのです。私自身は、人と対話する時にはなるべく「~と思う」という形で、自らの主観であることを伝え、相手に安堵感を持ってもらうよう心掛けています。
この「言葉の使い方」という「基礎学力」の土台となっているのは、漢字の読み書きや日本語の能力であることは言うまでもありません。多くの言葉を蓄え、使いこなすことができなくては、チームワークなど望むべくもないのです。
3.「正しい手順で考える能力」という「基礎学力」
運動会の徒競走で、全員が横並びでゴールする学校があると聞きます。理由は、結果に差をつけることで子どもを傷つけないためです。しかし、それでは子どもの意欲や競争心が育ちません。本当に大切なのは「結果」ではなく、1着を目指して一生懸命走ったという「プロセス」なのです。
同様に、企業においても「結果」より「プロセス」が重要です。例え企業が好業績を上げた(良い「結果」を得られた)としても、良識に反する手段(間違った「プロセス」)を使って得たものであれば無意味です。
また、会社のプレゼンテーションなどでは、ケースに応じて「演繹的手法」と「帰納的手法」を使い分けたりしますので、「思考プロセス」の技術を学んでいることも重要です。私は、部下のプレゼンを見る時、部下が出した「結論」そのものよりも、そこに到るまでにどのような「思考プロセス」を踏んだのかを重視し、評価もしています。
「思考プロセス」を大事にする代表的な学問が、物理と数学です。特に物理は、解答に至るまでの思考過程や論理性が重視されます。「正しい手順で考える能力」という、重要な「基礎学力」を身につける上で、数学や物理は欠かせません。これらの教科を通じて、子ども達に「結果ではなくプロセスが大事」であることを学んで欲しいと思います。
4.交渉の場面で欠かせない「最低限の知識」という「基礎学力」
あらゆる企業人が経験する対人交渉の場面で大切なのは、データと論拠をもって主張していくことです。そして、けんか腰にならずに、物腰柔らかく自分の主張を通す。そうした能力は、「知識」と「経験」の蓄積によって培われます。大切なのは、何事も好奇心を持って「知識」を習得していくこと、そして「疑問を持ったらすぐに調べる習慣」をつけることです。
一般的な社会常識や、基本的な科学・歴史などの知識を身につけていなければ、そもそもどのようなデータや論拠を示せば良いのかすら分からないでしょう。最低限必要な「知識」としての「基礎学力」は、社会人になる前に全員が身につけておいて欲しいと思います。また、社会人になった後も、「疑問を持ったらすぐに調べる習慣」を継続し、「基礎学力」や「教養」の幅を広げていくことが必要なのです。
5.IT時代に問われる「基礎学力」
現代の若者は、生まれた時からIT機器に囲まれ、ボタン入力に慣れ親しんできた世代です。一方で、私たちは手書きで育った世代です。両者には、脳の構造面も含め、大きな差異があるように思います。
パソコンで作成する文書は、一見すると見栄えが良く完全なものに見えます。しかし、細かく見ると文章作成のルールが守れていなかったり、誤字脱字が目立ったりします。ITに頼りすぎた結果、文章を推敲する力が落ちているのではないかと感じています。
そこで重要な働きをするのが、脳の一部である前頭前野です。前頭前野には、目や耳から入ってきた情報を総合的に処理し、「人間らしさ」をもって行動をコントロールする機能が備えられているそうです。
ボタン入力の場合、漢字は変換候補から選択することになります。しかし、選択は単なる作業であって、前頭前野はほとんど働きません。また、最近はペーパーレス化が進み、プレゼンテーションも図や写真、映像などが多く使われるようになりました。しかし、こうした情報は脳の視覚分野で処理されるだけであり、前頭前野は働きません。
ITの利便性に踊らされることなく、意識的に前頭前野を働かせて、物事を客観的に捉えられる能力こそ、これからの時代に問われる「基礎学力」だと思います。ITとは使うものであり、使われるものではないのですから。
余談ですが、近年、世界で巻き起こっている「IT革命」の影響力は「産業革命」に匹敵する、という意見もあるようですが、私はそうは思いません。もし匹敵するものがあるとすれば、それは「環境革命」であり「人間革命」だと思います。
確かに「IT革命」によって、情報の処理スピードや経済の効率性は高まりました。しかし一方で、「IT革命」には、人間の脳をサボらせ、退化を招くマイナス要因も含まれています。「産業革命」の段階で、人類は身体を使わないで済む発明を多数行いましたが、それは逆に頭を良く使うことによって生産性を向上していく時代でもあったのです。ところが、「IT革命」では頭を使わないで済む発明が進んだことによって脳が退化し、人間性が失われつつあることに、私たちは強い危機感を覚えるべきだと思います。
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