基礎学力を考える 企業トップインタビュー
大日本印刷株式会社
社長 北島 義俊 氏
1933年東京都生まれ。1958年慶應義塾大学経済学部卒業後、同年4月株式会社富士銀行に入社。1963年大日本印刷株式会社に入社。専務取締役、取締役副社長等を歴任後、1979年より現職。公職として、日本経済団体連合会常任理事、東京商工会議所新宿支部副会長等を務める。主な受賞歴は、パリ市民名誉市民賞(1997年)、デンマーク王国ダネブロー騎士称号(2001年)、第14回「地球環境大賞」環境大臣賞(2005年)、第3回「誠実な企業」賞大賞(2005年)など。
1.弊社が重視する「対話力」という「基礎学力」
弊社では以前、職場に掲げる標語のひとつに「コミュニケーション」と記載していました。ですが、いつしかこの言葉には誤解が多いと感じるようになりました。例えば、ごく限られた仲間同士でのお喋りを「コミュニケーション」だと思い込んでいる社員も見受けられたのです。
社会生活や仕事を行う上で求められる「コミュニケーション」とは、「会話」ではなく「対話」です。年齢・経験・立場・価値観・文化背景等が異なる様々な人々との意見交換や議論を通じて、それらを統合しながらより高い視点に立ち、互いの目的に合った結論を導き出すこと。これこそが「対話」です。昨今、メールや携帯電話が普及し、人間同士が顔を向き合わせて話をする機会は少なくなりました。しかし、付加価値の高い仕事をしていく上で、Face to Faceで「対話」することは、必要不可欠な要素だと私は思います。弊社の社員に求められる「基礎学力」、それは「対話力」に他なりません。
印刷業である弊社にとって、なぜ「対話力」が欠かせないのか。印刷業は、昔から受注産業と揶揄されてきました。ですが、これからは従来の印刷業務だけを行っていたのでは、時代の波に取り残されてしまいます。私たちは、「製版・印刷技術を核としたトータルソリューション業」へと進化しなくてはなりません。まさに、お客さまとの「対話」に基づく新たな付加価値創造が問われています。このような観点からも、弊社の未来にとって、社員の「対話力」が欠かせないのです。
2.「対話力」を支える「読み書き能力」「教養」という「基礎学力」と「空気を察する力」
「対話力」を支える最も重要な要素は、まずは「読み書き」に相違ありません。文字言語を使った「対話」の場面では、正しい日本語の表現はもちろん、的確な語彙選択や淀みない論理構成まで、高度な「書く」力が求められます。また、音声言語を使った「対話」の場面でも、相手の言葉を頭の中で即座に漢字変換できなければ、その意味を汲み取ることすらできません。企業活動では、音声で発せられた言語情報を文字化して記録する場面(会議の議事録作成など)は日常茶飯事です。
また、もうひとつ重要な要素に「教養」があると思います。歴史や社会等に関するある程度の教養がなければ、相手の言葉の背景にある考え方や価値観・社会観を推察できず、真意を汲み取り損ねてしまうでしょう。
さらに高度な「対話」をするためには、お互いの「空気」をも交換する必要があります。相手の表情や声のトーン、そこから醸し出される雰囲気など、全てに神経を研ぎ澄ます必要があるのです。そこでは、非対面では決して生まれ得ない相互作用が生まれます。
この醍醐味こそが「対話」であり、それを表す適切な言葉は他にはありません。そこで2年ほど前からは、職場の中で敢えて「対話」という言葉を使うよう徹底しています。海外拠点でも「Communication」や「Dialog」ではなく「TAIWA」とローマ字で表記し、現地の従業員にもその重要性を浸透させています。
3.「対話力」の向上で最も大切なのは「傾聴力」
社員の「対話力」を向上させるために、弊社で行っている社員教育の一例をご紹介します。
特に管理職には、部下の話を「聴き取る」ようにして欲しいと伝えています。実際に若手社員からは「上司が意見を聞いてくれない」という不満も出ていました。恐らく、話を最後まで聞かずに途中で遮断し、自ら話し出す人が多いのでしょう。そんな言動の裏側には、「自分の経験が全て」「担当業務のことは自分が一番知っている」という慢心があると思います。
しかし、一定の教養や見識を身につけていれば、自分の知識や経験などほんの僅かに過ぎないということを、自然と分かっているはずです。最前線の若手社員が持っているアイデアの中には、今後の経営に活かすべき貴重なヒントが隠されています。上司が「傾聴」の姿勢を持つことで、若手も積極的に情報提供してくれます。実は「傾聴」することは、話すことよりもエネルギーが必要であり、辛抱強さが問われます。つい口を挟んでしまうのは、辛抱が足りないからでしょう。
今、学校教育でも、辛抱を教える機会は減ってきています。私の場合、先生に辛抱することの大切さを随分と教えられました。また、辛抱強く子どもの話を聞いてくれる先生もたくさんいました。単に教科を教えるだけでなく、人間として大きく育てようという気概もあったように思います。子どもは、そんな先生が教える教科が自然と好きになるものです。
4.「読み書き能力」「教養」という「基礎学力」を身につけるために欠かせない「古典」と「歴史」
アルフォンス・ドーデの小説『最後の授業』で、「たとえ民族が奴隷にされようとも、自国の言語を守ってさえいれば、牢屋のカギを握っているようなもの」という一節があります。多くの先生がおっしゃっていますが、私も「国家」とは突き詰めれば「国語」であると思います。昨今、子どもの「読み書き」能力の低下が指摘されていますが、これは非常に由々しき問題です。
また、子供達が理解しにくいとの理由から、古典的名作が教科書から外されている例もあると聞きます。しかし、古典は時間と風雪に耐えることで品質を保証された名作であり、脈々と培ってきた人類の知恵が凝縮されています。古典から学ぶことは非常に多いと思います。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。歴史を学ぶことなく、自分の経験だけを頼りに考えて行動すると、過去の人類が犯した同じ失敗を繰り返すことになりかねません。
国旗を誇らしいと思う日本の高校生は、諸外国に比べると際立って少ないというデータを見たことがあります。無謀な戦争という歴史への反省は当然必要ですが、大局的に何世紀にも渡る日本の歴史を良く知っても、同様の結果になるのでしょうか。例えば、海外赴任経験者を対象に同じ調査をした場合、高い割合で誇りや愛着を感じるという答えが多くなると思います。海外における孤軍奮闘状態で、母国語や国旗に出会った時の涙が出るような感覚は、多くのビジネスマンが経験しているでしょう。歴史をきちんと学ぶ、あるいは学ばせることが、確かな「基礎教養」を培う上でとても大切なのです。
5.高い「志」を持って「挑戦」し続けることの大切さ
よく若者に「夢を持て」と言う人がいますが、私は漠然とした「夢」ではなく、確固たる「志」を持ってほしいと思います。「こうなったら良いな」という程度のものではなく、「絶対にこうする・こうなる」という決意こそが「志」です。そして、その「志」を持つためには「挑戦心」が必要です。「挑戦心」は、挫折や成功という体験による「自己肯定感」や「向上心」に裏打ちされるものです。
私の社会人生活は、ある都市銀行から始まりました。そこでは、お札を数える速度とソロバンをはじく速度に関して明確な数値目標が設定されていました。ですが、私は同期の中でも遅い方であり、大いに挫折を感じていました。その経験がバネになり、その後は全ての目標を必ず達成するという気構えやこだわりが持てたと思います。
また弊社は、昭和40年代後半に電算写植システムの実用化へと踏み出しました。それまでは、「活版印刷」と言って、一つひとつの活字を職人が拾って刷っていたのですが、「近い将来、必ずコンピュータの時代が来る。効率性と生産性を向上させる。」という高い「志」の元に、そうしたプロジェクトが立ち上がったのです。
もちろん最初はうまく事が運びませんでした。ミスも多発し、お客さまからは随分と叱られました。費用も高くついたため、社内からは「諦めた方がよいのでは」との声も出たほどです。今振り返ると、あの時引き返さずに「志」を貫いたことは、会社にとって大きなプラスとなりました。現在の弊社のIT関連テクノロジーは、その多くが当時の技術の延長線上にあります。
学生の本分として、「読み書き」「基礎教養」といった「基礎学力」を、しかるべきタイミング(卒業や進級まで)に、到達すべきレベル(学習指導要領に規程された範囲)まで修得するという「挑戦」を怠って欲しくないと思います。「到達目標まで決められた納期で達成する」ことは、社会人にとっては当たり前の行動です。そしてなにより、「基礎学力」の修得を目指して努力するプロセスにおいて、「自己肯定感」や「向上心」を培うことができ、「挑戦行動」が習慣化するからです。
※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。