基礎学力を考える 企業トップインタビュー
日本生命保険相互会社
代表取締役会長 宇野 郁夫 氏
1935年生まれ。1959年東京大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。1976年の海外派遣(英国)を経て、企業保険業務課長、法人企画課長、取締役人事部長、常務取締役 国際金融本部長、専務取締役(秘書部・総合企画室・広報部他担当)、代表取締役社長、等を歴任後、2005年より現職。
1.保険会社の存在価値とは従業員の「対人能力」が全て
私たちが提供している保険という商品には、色も形もありません。リスクヘッジや安心という、無形の価値を提供しています。つまり、保険会社が持っている資産は、将来の支払いに備える「お金」と「従業員」の2つしかありません。そして、保険という商品に価値を付加するのは、従業員以外にはないのです。
保険という商品には実に特異な側面があります。人が保険の必要性を本当に感じるのは、なんらかのリスクに直面した時です。ですが、その時になってからご購入(ご加入)いただいても、保険金をお支払いすることはできません。つまり、保険という商品は、その必要性を実感する前に加入していただかなくては意味がない商品なのです。「あまり買いたくない(保険に入りたくない)けど」と逡巡しているお客様は、いざと言う時に保険の必要性が最も高いお客様とも言えるのです。
つまり、保険という商品は、切迫した必要性を感じていない方に、その必要性を説明することから全てが始まります。ですから、保険会社というのは、従業員の「対人能力」が全てなのです。この大切な「対人能力」を支える土台が「基礎的人間力」と「基礎学力」だと考えています。
2.「基礎的人間力」を育むために ~ フレーベル哲学とテレビの視聴時間
20世紀最大の教育学者フレーベルは「大人になって良い仕事をする人は、皆共通点を持っている。それは、(1)幼児の頃、遊びほうけた経験を持っている。(2)ものごとに熱中した経験を持っている。(3)そのことを温かく見守った母親との肌の触れ合いを持っている。この3つの共通点こそが、『人間力』の基礎を形成するものに他ならない」と言っています。フレーベルは、このために世界で初めて幼稚園をつくるのですが、幼児期の伸びやかな時期に、情感や情緒溢れる世界の中で育まれてこそ、人間の最も必要とする能力「志」を身につけることに繋がると見抜いていたのでしょう。
1988年に全米の小児医科学会は「子供にはなるべくテレビを見せるべきではない」「見せる場合は1日2時間以内にするべき」「2歳以下には一切見させてはいけない」との声明を発表し、日本の同学会も2004年に同様の発表をしたそうです。一説によれば、母親がテレビを見ながら授乳していても、赤ちゃんに悪影響を及ぼすそうです。赤ちゃんは、心が自分から離れていることを本能的に察知するからでしょう。幼児へのテレビの見せすぎは、「基礎的人間力」を育む上で問題を生むようです。
3.日本人が備えるべき「基礎学力」とは~ 古典は常に新しい
日本人は、古来「東洋の奇跡」と呼ばれるほどの「精神性の高さ」と「気品の高さ」を、その強みとしてきました。かのチャールズ・チャップリンが来日した際も、その高邁な精神や礼儀正しさに感動し、「この国は神がつくり賜うた国か」という賛辞の言葉を残しています。
そして、その日本人の心を形作ったもののひとつに、古典の読書や暗唱があったと考えます。旧制中学や旧制高校では、「古典を読まない人間は一人前ではない」と言う風潮がありました。古典を読まない人は、例えば「箴言」(しんげん:戒めの言葉)「韜晦」(とうかい:隠しくらまし、わからないようにする)といった言葉はもとより、「気概」「矜持」といった言葉さえも失ってしまいます。言葉を失うことは、言葉が表す心も同時に失うことに他なりません。日本人がつとに諸外国から賞賛され続けてきた「精神性の高さ」や「気品の高さ」を守っていくためにも、若者に言葉を与えることが決定的に重要なのです。
即ち、日本人としての「基礎学力」とは、「日本人としての高い精神性を担保できるレベルの読み書き能力」言い換えると「倫理観や大局観に裏打ちされた読み書き能力」に尽きると考えます。果たして、今の日本人がこの「基礎学力」に裏打ちされた、「精神性の高さ」と「気品の高さ」を備えていると言えるでしょうか。「基礎学力」の低下は、日本人のアイデンティティを揺るがす、深刻な社会問題なのです。
中国の古典『十八史略』に書かれている言葉に、「地方が中央を侵食する」(変化は辺境から起こる)、「野蛮が文明を支配する」(都市文明は成熟し、腐敗し、周辺の野生が次の文明の中心になる)というものがあります。その真理性が多くの歴史的事実によって証明され続けてきたものの代表例と言えるでしょう。またマックス・ウェーバーは、資本主義の勃興期に書かれた『経済と社会』という著作の中で、「倫理がなければ資本主義は滅びる。しかし、人間はいずれ拝金主義に陥り、資本主義を崩壊させてしまうだろう。」と喝破しています。現代日本の行く末を占うのに、多くの示唆が含まれているような気がしてなりません。
古典とは、長い風雪に耐え、その普遍的な価値を保ってきた書物です。何世紀もの時空を超えてきた古典を紐解くことで、いつの時代でも次に起こること、次の時代を想像し創造する上での指針となることを読み取ることができます。つまり、古典とは常に新しいものなのです。浮薄な思いつきの理論、特定の環境下や背景のもとでしか通用しない、表面的に新しく見える理論に飛びついて、古典を蔑ろにするなどもってのほかです。
4.「基礎学力」を身につける方法論~ 「模倣」「反復」「書き写し読書法」「一点集中法」
18世紀の音楽家J.S.バッハは、少年期にヨーロッパ中を旅しながら各地の民謡を聴いて回り、それを譜面におこし続けたそうです。絵画の世界でも、ミレーはミケランジェロを何度も模写し、ゴッホはミレーに憧れて模写を続けました。ゴッホが、同じ「種まく人」を題材にして、別の角度から描いていることは有名です。かように天才といわれた人々でさえ、優れたものを繰り返し真似て真似て、徹底的に真似し抜くことで、独自の境地に達しているのです。人間には、天賦の創造性など備わっていません。先人の教えや自身の経験の積み重ねのうえにこそ、独創性は花開きます。つまり、人の成長には、「模倣」と「反復」が欠かせないのです。
「基礎学力」を身につけるにも、優れたものの徹底的な「模倣」を繰り返す必要があります。また、繰り返し繰り返し練習するという「反復」訓練が必須であることは、古今東西の常識でありましょう。そしてこれは、一方的に教えるという方法ではなく、欧米の寄宿学校が行っているように、「まずは自分で勉強して、分からなければ相談や質問に来なさい」という姿勢で臨むべきと考えます。優れた「読み書き能力」を身につけるためには、優れた書物(特に古典)を熟読し、暗唱することから始めることが重要だと考えます。
私自身の読書法をご紹介しましょう。本を読んでいてこれは、という文章を見つけると、必ずノートに書き取ることにしています。時代の評価を受けて生き残った古典(特に歴史書や哲学書)には、普遍の原理原則がぎっしりと詰まっています。その書物の中で、私が最も美しいと感じた文節に線を引いておき、全て読破した後にノ-トに書き出すのです。最も美しい文節とは、作者の世界観・社会観・歴史観・人間観が凝縮して煌く結晶のようなものだからです。
私は今でもほとんど毎日書店に足を運びます。多少ペースは落ちましたが、1ヶ月に7冊程度は読んでいます。そして、名文を書き取る習慣は30年以上続けており、ノートの冊数は40冊を超えました。仕事などで考えがまとまらない時、このノートをばらばらと開いて名文に触れると、不思議にいいアイデアがひらめくことが多いのです。いわば、私の秘密兵器です。
また、仕事でも学習でもそうですが、ひとつのことに集中して、それを真剣に深めていくと、実は視野や視点は広がっていくことがあります。とにかく、夢中になれることに没頭し、徹底的に突き詰める経験が大切です。私は、日本でも海外でも労務関係の仕事に携わる期間が長かったのですが、この仕事も真剣に深めていくと、様々な解決すべき課題が浮かび上がってきます。それらの解決のためには、労働問題から教育問題、さらには社会階層・文化・歴史といった社会問題にまで、視野視点を広げざるを得なかったのです。
世の中のことは、実は全てが繋がっています。ひとつのことに一点集中して真剣に深めることで、世の中全体を俯瞰して見られるようになるのです。
5.子供達の「基礎学力」を育むために大人が担うべき義務
子供や若者の「基礎学力」低下という社会問題を解決するには、子供の教育に対する大人の側の姿勢と行動が大切だと考えます。まず、学習させる内容に関する「優先順位」と「劣後順位」を明確にし、大事なことに集中させることが必要でしょう。日本語の「読み書き能力」、特に常用漢字の活用能力の獲得などは基本中の基本です。そのうえで、更にそれを土台にして古典の読書や素読に時間を割くべきだと考えます。ITや英語の教育は必要ないとは言いませんが、これらを身につけた後でも十分間に合うと思います。
また、携帯電話の使用制限やテレビ視聴時間の制限なども、保護者や教育機関の重要な役割だと考えます。社会に出る前の子供や若者は、判断能力がまだ十分ではないからこそ社会から保護されているわけです。つまり、自主性に任せるなどと言って野放図にするのは、大人側の義務の放棄に他ならないのです。米国の大学では、教室内への携帯電話の持ち込みを禁止しており、必ず廊下のロッカーにしまわせているところがあるそうです。教育機関として、ひとつの好ましい態度と言えるのではないでしょうか。
※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。