基礎学力を考える 企業トップインタビュー
東日本旅客鉄道株式会社
取締役会長 大塚 陸毅 氏
1943年生まれ。東京大学法学部卒業後、1965年日本国有鉄道入社。1985年同社総裁室秘書役などを経て、1987年国鉄民営化に伴い東日本旅客鉄道株式会社に入社。財務部長、取締役人事部長、常務取締役総合企画本部副本部長、代表取締役副社長総合企画本部長などを歴任後、2000年6月代表取締役社長就任。2006年4月より現職。
1.「良き青年」「良き日本人」たれ
全ての企業は「良き企業人」を求めているわけですが、「良き企業人」である前提条件として、まずは「良き青年」「良き日本人」でなくてはなりません。すなわち、社会規範や倫理観を身につけ、自国の文化・歴史・哲学を理解していることが前提です。これらの前提が無い人には、「社会課題の解決方法」や「企業の社会貢献の方向性」を考えることはできないでしょう。今後ますます進むグローバル社会において、国際人として海外の人から評価されることも難しいのではないでしょうか。
戦後の日本は、軍国主義への反省から「個の自由」が強調され、多くの人が自由である権利を主張するようになりました。しかしながら、自由には制約があることを忘れている人も増えているように思えます。世の中には、「責任を伴わない自由」「制約が全くない自由」など存在しません。「自らの自由」が「誰かの不自由」を生むのが社会の理なのです。個々人の健全な自由を守るためにも、このような履き違えを起こさない最低限の「基礎学力」や「教養」を、全ての人に身につけさせなくてはなりません。
「良き青年」「良き日本人」であるためには、最低限の「基礎学力」や「教養」を身につけていることが必要だと考えています。
2.百の議論より一の実行を
「基礎学力」と「教養」の向上は、いまや大きな社会課題のひとつであり、様々な側面から教育改革が議論されています。そのどれもが間違ってはいませんし、それぞれに利点も多いと思います。
ですが、子供たちの一年一年は非常に貴重であり、後から取り返すことはできません。大人にとっては「たった一年」かもしれませんが、子供たちにとっては「大きな一年」です。小学校一年生という一年間も、中学校一年生という一年間も、過ぎてしまえば二度と戻らないのです。ですから、「あれも大切、これも大事」と議論を繰り返して、子供たちの貴重な時間を浪費してはいけません。習得すべき「基礎学力」について、優先順位と劣後順位を明確に定め、できることから素早く実行するべきだと考えます。百の議論より一の実行が重要なのです。
習得すべき優先順位でいえば、まずは「日本語の読み書き」次に「計算」ということに異論は少ないかと思います。この優先度の高い領域を中心にして、指導の時間配分の集中と選択を図る必要があると思います。その際に留意すべきポイントは次の2点であり、これはあらゆる組織運営に共通する原理・原則でありましょう。
(1) 最大限の効率性と効果性を追求する。
一人でも多くの子供たちの「基礎学力」を、効率的且つ効果的に向上させ得る方法に集中する。
(2) 具体的な成果目標を設定し、達成度を測る。
測定可能で流通性の高い指標で目標を設定し、集中して取り組み、その利害関係者に結果を開示する。
3.意欲と志を持つ「教師」を社会全体で敬い応援する
私の知り合いに、まさにこの実行をした先生がいます。首都圏のある県立高校の校長先生なのですが、彼は学力が必ずしもトップレベルではない学校に赴任された後、様々な改革を断行しました。「土曜授業」や「夏休みの短縮」を行い、職員室の前には机といすを置いて、生徒がいつでも気軽に相談できる空間を設けました。また、生徒による教師の授業に対する評価や地域の人たちや保護者に授業を公開することで、授業に緊張感をもたらし、教師の意識改革を進めたのです。その結果、生徒たちの学力は県内トップレベルにまで向上し、今や有名私立校と優秀な生徒を取り合うようになったそうです。
彼が行ったこれらの改革に対して、抵抗する人々も少なからず存在したそうです。一方で、彼の意欲と志に感銘を受け、応援したり支援したりしてくれる人も多数存在し、その支えのお陰で改革を断行できたと話していました。
日本全国には、このような意欲や志を持っておられる先生が、少なからずいらっしゃると私は確信しています。ですが、いつの世も出る杭は打たれやすいものです。特に教育改革への社会的関心が高まっている今、立派な先生が思った通りにやりにくい雰囲気になっていると思います。ですから、社会全体がこのような先生方を応援していく必要があるだろうと思います。
このような、意欲と志を持ち自信とプライドに溢れている凛とした先生を、「教員」と呼ぶことには抵抗を覚えます。彼らは「教師」と呼ばれるべきでしょう。「教師」とは、子供の成長のみを互いの喜びとする者です。日本の未来を創造する第一歩を担っているという誇りと気概を持って欲しいと思います。
4.当社が欲する「協調性と独創性を併せ持つ人材」~それを支える「基礎学力」~
上記の校長先生のように、独創的なアイデアは個人の中に持っているだけでは価値を生みません。共鳴者・共感者を得て、組織的な取り組みに繋がり、現実化してこそ初めて意味を持ちます。逆に言えば、独創的ではあるけれども他人との協調性を持たない人は、組織にとっての価値は低いということです。
今や一般的となったSuica(スイカ)も1990年前後にアイデアが出された当時は、「自動改札で十分。そこまでは必要ない。」という意見が多数出ていました。そこから地道に共鳴者・共感者を集め、長い年月をかけて現在のイノベーションに繋がったのです。
このようなイノベーションを行える人材という観点から、当社では「協調性を持った上で、独創性も併せ持つ人材」を求めています。協調性を支えるのはコミュニケーション力であり、独創性を支えるのは縦横無尽の思考力です。そして、それらを支えるのが「基礎学力」であると考えています。
企業におけるコミュニケーションというと、ディベートを想像する方も多いかもしれません。このディベートを、「相手を論で打ち負かす」ことと勘違いし、勝つための技法を身につけようとしている人も散見されますが、これは無意味どころか、むしろ有害だと思います。コミュニケーションの目的は「勝ち負けを決すること」ではなく、「相乗効果による協創」です。自分の主張を論理的にまとめて発言するだけではなく、相手の主張を背景まで含めて構造的に受け止める傾聴力が問われるのは言うまでもありません。
そして、この論理的に主張する力と傾聴力の基盤が語彙力なのです。語彙力や漢字力が無ければ、表現の多様性を持ち得ませんし、相手の話の構造や背景を的確に掴み取ることもできません。論理思考を鍛えるには、数学や物理も重要でしょう。それに加えて、独創的なアイデアを生み出すためには、人類の歴史や文化を学んだり、世の中の仕組みなどを幅広く学んでいることも重要です。
「協調性と独創性を併せ持つ人材」となり得るには、「読み書き」「計算」に代表される「基礎学力」を、幅広く身につけていることは最低限の条件なのです。
5.「基礎学力」の土台は「読み書き」 それを徹底的に反復訓練することが大切
私の小学校時代の恩師は、「漢字20字を20回書く」という宿題を毎日課してくれました。しかもちょっとしたゲーム性を持たせる工夫をしてくださったので、日々楽しく懸命に書き続けることができ、結果的に多くの漢字や語彙を身につけることができたのです。その工夫とは、課題の漢字数(20字×20回)が完璧に書けている場合、翌日は19字、更に翌日は18字...と、完全習得が進めば楽になっていくという仕掛けでした。反復訓練の継続には、指導者の工夫も大切なのかもしれません。
6.人間や社会をデータとして見るのではなく 想像力や情緒力を働かせて「言葉」で表わして欲しい
近年はIT化が進み、業務の様々な場面でコンピュータが用いられるようになりました。例えば人事考課に関する情報もデジタル化され、容易に検索・分析ができるようになりました。台帳に手書きしていた頃には、個々人の顔を思い浮かべながらペンを走らせたものですが、デジタル化された今、一人一人の従業員への想像力を働かせるのは至難の業となりつつあります。
ここにITのリスクがあると思っています。人間や社会をデータとして見てしまうという落とし穴です。この落とし穴にはまらない為には、いつも自分の手を動かし、頭を動かし、人間や社会への想像力や情緒力を働かせ続けることが大切です。そして、この想像力や情緒力の基盤が「基礎学力」や「教養」であることも言うまでもないでしょう。
歌謡曲でも名曲と呼ばれるものは、何十年経っても愛され続けています。歌詞が一編の詩として人の心のひだを捉え続けるからでしょう。私も、中学時代の恩師から送られた言葉が、今でも心に残っています。「踏まれても 根強く忍べ 福寿草 やがて花咲く 春も来るらむ」という言葉です。データではなく「言葉」こそが、人と人とを通い合わせるのです。
企業人、とりわけ経営者や幹部にとっても「言葉」は極めて重要です。自分の思いに最も適した「言葉」を話し、相手が誤解せずに正しく理解し行動化できるような表現を用います。熟考して慎重に「言葉」を選ばなければ、仕事にならないと言っても過言ではありません。
若いころから語彙を増やし、「言葉」を大切にし、よく考えて「言葉」を使うことを習慣化して欲しいと切に願います。
※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。