基礎学力を考える 企業トップインタビュー
シチズンホールディングス株式会社
取締役相談役 梅原 誠 氏
1939年岩手県生まれ。1962年東北大学工学部精密工学科卒業後、同年シチズン時計株式会社(現シチズンホールディングス株式会社)入社。精機事業部設計室に配属され、時計の全工程に関係する工作機械、組立機、測定機器などの設計・製作に従事。その後、販売部門、企画部を経て、精機事業部産業機械営業部長、シチズン・マシナリー・ヨーロッパGmbH社長、常務取締役、代表取締役社長、等を歴任。2008年より現職。公職では、社団法人日本経済団体連合会理事も務める。
1.「基礎基本」は夢を実現するための拠りどころ
私はよく、社員に「本来、人は無限の可能性を持っている。そして、夢を持って挑戦し続ければ、自ずと道は開く」と話しています。これは、良い仕事をするためにはもちろん、人がより良く生きる上でも重要なことだと考えています。
夢を実現する過程では、試行錯誤を重ね、迷い悩むことが必ずあるでしょう。そんな時に、立ち戻れる拠りどころとして「基礎基本」を身につけているかどうかは、決定的に大切であると考えます。いざという時に立ち戻れる「基礎基本」があれば、そこから再出発して、その後も挑戦し続けることができるのです。ですが、それが無い場合、ただただ途方に暮れ、思考停止に陥るしかありません。
この立ち戻る「基礎基本」とは、一般的には「読み・書き・計算」や「基礎教養」等の「基礎学力」であると思います。機械系のエンジニアであれば、「力学」等の物理学や「実用解析学」等の数学などがこれに当たるでしょう。「基礎基本」の備わっていない人に夢は実現できません。即ち、良い仕事をすることも、良い人生を送ることもできないのです。
2.仕事で必須の2つの能力と、それを支える「基礎学力」
良い仕事を行う上で、決して欠かせない能力が2つあると考えます。それは、以下の2点です。
(1) 豊富な「形式知(手法や方法論)」に基づいて自分で考える能力
様々なことを探求したり、新たなことに挑戦する経験を通じて、人は「形式知(手法や方法論)」を学びます。その結果が成功であれ失敗であれ、必ずなんらかの「形式知」を得るのです。この「形式知」を持っていないと、自分で考えることが出来なくなってしまいます。自分で考えることのできない人に、良い仕事ができるはずがありません。「思考するための武器(フレーム)」を何も持たずに考えようとしたり纏めようとするのは、何の道具も持たずに家を建てようとするくらい無謀なことです。
「基礎学力」を早期に確実に身につけたうえで、それを拠りどころとして探求や挑戦を繰り返し、多くの「形式知」を身につけてきて欲しいと思います。
(2) 「大局観」を持って「着眼大局、着手小局」する能力
良い仕事を行うためには、大所高所から物事を観る「大局観」が必要です。より高い視点で事業全体を観ることができなければ、自らに与えられた使命・役割が理解できないからです。それを理解した上で、局所における着実な打ち手が必要です。
とはいえ、最初から「大局観」を持っている人など存在しません。様々な経験や学習を通じて、自らの視野視点の止揚を高め続けていく必要があります。止揚とは、二つの対立・矛盾する概念を統合してより高い概念を得ることで、ドイツ語ではアウフヘーベンとも言います。この過程において「基礎学力」が必須なのは言うまでもありません。「基礎学力」が不足していると、概念そのものの理解が浅いがために、止揚を段階的に高めていくことができず、いつまでたっても視点が上昇しないため「大局観」を得られないからです。
3.「好きなこと」の探求や「悩みごと」の発見・解決のためにも「基礎学力」が必要
生まれながらにして自分の天命を理解している人など存在しません。成長する中で様々なことに興味関心を持ち、それを調べたり知ったりする過程を経て、「好きなこと」が浮き彫りになってくる、というのが一般的だと思います。
しかし、「基礎学力」が無い人には、そもそも調べたり知ったりすること自体が出来ません。つまり、「好きなこと」を発見し得ないという困った事態に陥るのです。「好きこそ物の上手なれ」という諺にもある通り、「好きなこと」即ち本気で取り組みたいこと(天命)を見つけた人こそ、その能力は開花します。そして、その天命を見つけるための基盤として「基礎学力」は欠かせないのです。
また、仕事や人生には、「好きなこと」がある一方で、「悩みごと」も付き物です。ですが、私は寧ろ「悩みごと」や「問題」があることは良いことだと思っています。「問題そのものは常に解決されるために存在する」というのが私の持論です。「悩みごと」や「問題」が解決されていく過程そのものが、仕事や人生の面白みだと考えるからです。ところが、「基礎学力」を持っていなければそもそも「問題」に気付くことすらできず、仕事や人生の面白みを知ることはできないでしょう。
4.「基礎学力」の中でも特に重要な「漢字力」について
私は「基礎学力」の中でも、特に「漢字力」が重要であると考えています。
中国と日本で使われている漢字は、世界でも類を見ない表意文字です。これを活用する際には、左脳による「論理的思考力」と右脳による「情緒的思考力」の双方を使いこなすことが求められます。その論理の精緻さと情緒の豊かさは、さすがに4000年の歴史を感じさせます。
何かを学んだり仕事を行う場面では、この論理力と情緒力の双方が必須です。私が「基礎学力の中で特に重要なのは漢字力」と言い切る理由はそこにあります。特に、仕事で優れた業績や成果を上げたいと思っている人には、この二つの力を縦横無尽に使いこなすことが求められるでしょう。これらを鍛え、定着させる最も優れたツールが漢字なのです。かのベートーベンも、交響曲第5番「運命」と第6番「田園」を作曲するにあたって、右脳が疲れたら左脳、左脳が疲れたら右脳、と使い分けながら同時に2曲を完成させるという偉業を成し遂げたそうです。つまり、漢字を使うのと同じ脳の働きを生かしたのです。
また、先述した「大局観」を得るための止揚を行うためには、概念化力が欠かせません。概念を表す日本語は、ほとんどが漢字で表されています。「漢字力」は、概念化力を高めるためにも重要な力だと思います。
私自身は、小学校入学前から「漢和辞典」に親しみ四六時中触れていた記憶があります。そのお陰で、小学校の低学年の時に落ちこぼれギリギリであった成績も高学年で際立って伸び、卒業時にはトップクラスになりました。初等中等教育において、授業から漢文が外されつつあると聞きます。非常に嘆かわしいことだと思います。
5.「知・徳・体」のバランスと「忍耐力」
昨今、学校教育では「知育」や「体育」に比して「徳育」が軽視されていると感じます。しかし、「知力」や「体力」という縦糸は、「人間性」という横糸によって紡がれていくもので、別々に育むべきものではありません。人間は「知・徳・体」がそろって、初めて人格の完成をみるのであり、それらを立体的に学ぶことが必要なのです。
大人自身が、情熱や礼節を持って知識や知恵を本気で教えることによってこそ、子供達も立体的に学ぶことの大切さを感じ取れるでしょう。「知育」「徳育」では、特に大人の態度が問われているのかもしれません。
現代の日本は、一昔前に較べると随分住みやすく便利になり、娯楽も増えました。ですが、この便利さと気楽さは、ある意味において「曲者」です。例えば、ゲームをやっていて少し調子が悪くなったら、リセットを押して気楽にスタートに戻ることができます。ですが、木登りをしていて怖くて降りられなくなっても、リセットは押せません。また、遠足準備を事前に周到にしていなくても、コンビニエンスストアに走れば前日の夜更けでも間に合ってしまいます。
仕事においては、「計画的・継続的に目的に向かって努力し続ける力」や「敢えて扉を開いて踏み込む勇気」などが常に求められます。ですが、あまりにも「便利で気軽な社会」で育つと、この「努力し続ける力」や「挑戦する勇気」を身につけないまま社会人になってしまう危険性があるのです。
そして、この2つを身につけるのに必要な経験とは、即ち「忍耐」に尽きます。「苦しみの後 歓喜に至る」という経験が是非とも必要です。そして、学校で経験しておくべき「忍耐」の最たるものが、「反復訓練によって基礎学力を習得すること」だと思います。この過程が、「努力し続ける力」や「挑戦する勇気」をもたらすと同時に、先述したような夢を持って仕事に取り組むことの基盤になるのです。正に一挙両得と言えるのではないでしょうか。
6.「本質を問える人材」になって社会に出てきて欲しい
皆さんは、「仕事」の本質的意味を考えたことがあるでしょうか。「仕事」とは、「事を仕組む・仕掛けること」です。これを「事に仕えること」と勘違いしてしまうと、ただの指示待ちになったり、「作業」と「仕事」を混同して単純反復に埋没してしまいがちです。「仕事」とは、即ち「各自の権限や立場、あるいは責務や使命に基づいて密かにシナリオを練り、思い続け、実行すること」と言い換えられるでしょう。
この「仕事」という言葉の例にも顕著なように、「基礎学力」が不足していると、身近で毎日ふれている言葉に対してさえ、表層的にしか考えなくなってしまうのかもしれません。「漢字力」を土台とする「基礎学力」を早期に確実に身につけ、言葉や生き様、信念などの「本質を問える人材」になって社会に出てきて欲しい、と切に願っています。
※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。